三井砂川炭坑(以下砂川炭鉱と呼ぶ)は石狩炭田北部の中空知地区に位置し、1914年(大正3年)に三井鉱山社が砂川出張所を開設して開坑以来、1987年(昭和62年)の閉山まで73年に亘って、美唄、登川、夕張の各夾炭層に14の坑口(直営子会社を含む)を開いて採掘を行ってきた。1973年(昭和48年)には所謂白黒分離策に則って三井石炭鉱業が設立されて砂川炭坑の事業所名は三井石炭鉱業(株)砂川鉱業所となった。
当鉱は伝統的に新しい技術への挑戦を続けており、1964年から水力採炭法を導入した。国内の操業炭鉱では経験の少ない技術の導入に数知れない困難を伴ったが、技術改革を推進しつつ操業を続け、逐次適応部内を増やし、その結果、生産性と保安成績は飛躍的に向上した。
しかしながら、第8次石炭政策の中での生き残りは困難と判断され、1987年(昭和62年)7月14日に閉山した。